kramija’s blog

アニメの女の子と現実のオタクの話をします。Twitter:Pasupu_otaku

響け!ユーフォニアム2第9話の話

 今回は響け!ユーフォニアム2の話をします。2は無印に比べれば難解なシーンが少なく素直に見られるんですが、第9話「ひびけユーフォニアム」だけは個人的に各シーンの意味がすごく拾いにくかったです。特に中世古先輩があすか先輩の靴紐を結ぶシーンは最初見た時頭の中がはてなマークで埋め尽くされました。一見したところあのタイミングで中世古先輩が登場すること自体が物語に何か重要な意味を持つとは思えないんですが、靴紐を結ばれているあすか先輩の意味ありげに隠された表情とそれを見た久美子の緊張感がすごく力を入れて描写されている。顔を見た久美子の反応からあまり良い表情をしていないことが推測できますが、なぜ靴紐を結んでくれている人をそんな顔で見なければならないのかが場面から得られる情報だけではさっぱりわからない。僕は原作を読んでいないのでなんともいえないんですが、原作にあったにしろなかったにしろ京都アニメーションさんがあんな大事な回に意味もなく意味ありげなシーンを挟み込むとは思えません。だったら頑張って意味を汲み取るのがオタクの役目だろう、ということで頑張って自分なりに意味を汲み取ろうというのがこの記事です。それではよろしくお願いします。

 

 田中あすかは型破りな人間ですが、同時に“型破り”という型に押し込められた人間です。一期であすかがドラムメジャーを務めたときを思い出してみてください。彼女がその役割を完遂するずっと前、練習を始めた当初から彼女がやり遂げる前提で話が進んでいました。誰も結果を待たずに、ドラムメジャーという大役を成し遂げるで“あろう”彼女を賞賛し、尊敬していたわけです。「彼女は型破りだからきっとやってくれる」、皆がそう考えていた。しかし、成績不良に端を発する退部問題の発生により、田中あすかも人の子であり、成績を保ちながら吹奏楽に打ち込むという離れ業には限界があることが明らかになった。この事実は一方で、彼女の肩の荷を降ろすことになります。今までその行動を細部に至るまで支配しようとする母親と、自らに対し「どんな局面も飄々と切り抜ける超人」という評価を持つ部員たちとの板ばさみにあった彼女は、ひとまず後者の期待を裏切る形で抑圧から解放されたわけです。

 そこで、「スニーカー」の登場です。スニーカーは母と部員からの板ばさみ状態を脱し一応は軽くなった彼女の心情を表していると僕は考えています。ローファーというのは伸縮性や柔軟性はなく形が決まっている。つまり、型です。9話後半であすかが自らを抑圧する母の存在について話す時玄関に置いてある彼女のローファーがカメラに映されることからも彼女の中で(無意識にしろ意識的にしろ)ローファーと抑圧が結びついていることが伺えます。対してスニーカーは靴紐で固定するため柔軟性もあり自分の好きなきつさで履くことが出来ます。

束縛に疲れたあすかはきっと、靴紐をゆるくして履いていたんじゃないでしょうか。だから、ほどけた。それにたまたま気づいたのが、香織だった。

 では、なぜ香織なのか。あすかとの付き合いの長い三年生は彼女の本音に気づくことなく、むしろ共に過ごす時間を重ねるたびに彼女を信頼し、頼るようになります。その重圧に耐え切れずあすかが初めて弱みを見せたとき、小笠原晴香は自分たちが如何に彼女に頼りきっていたかに気づき、あすかに代わって部をまとめようと奮闘します。その結果が第7話のソロ演奏なわけですが、一方で中世古香織田中あすかが“人間”であるという事実をなかなか認めようとしません。それを認めることはきっと、いままで田中あすかを異次元に置くことで抑えてきた気持ちに再び触れることを意味します。初め高坂麗奈という才能と真っ向から対峙することを避けていた香織は、ここでも逃げるほうを選択した。部のマドンナなどともてはやされ、一挙手一投足に注目をされる彼女ももしかしたら、大きな重圧を感じていたのかも知れません。

 あすかと香織、共に人々からの期待という大きな重圧を肩に背負ってきた二人の登場する第9話の靴紐のシーンは、短いながらに響け!ユーフォニアムという作品の途方もない奥深さ、精緻さを感じさせてくれます。当然他にも注目に値するシーンはたくさんあるのでまた何か書きたいと思っているのですが、とりあえず今回はここまで。

四季について、あるいは声優について


  四月下旬から五月上旬にかけてが藤の季節である。桜は四月の中頃には散ってしまうから、丁度桜と入れ違いに藤の見頃が訪れることになる。桜の次に藤、私としてはなんだか出来過ぎた冗談のようにも感じられるが、さておきこの私が花の盛りなんて風雅なものを気にするようになったのはつい最近のことだ。万物流転。万物の霊長とはいえヒトもまた万物、小さなきっかけで変わる頼りなき存在らしい。
 からりと晴れた空、道には野良猫が二匹。隣家の庭を眺めながら私は、声優について考えていた。

 ──声優に対して恋心を抱く青年は狂人なのだろうか。いや、青年の恋はいつだって狂気に満ち満ちているものだろう。冷静な頭で恋をする者がいれば、それこそ狂気の沙汰である。しかし一方で、声優に対する恋というものを他の恋と区別して考える必要があることもまた認めなければならぬ。それはひとえに、声優と青年との"関係"の特殊性に起因する。
  今、敢えて"関係"という言葉を使ったが、これは即座に"無関係"という正反対の言葉で置き換えられよう。声優と青年との特殊な"無関係"──ああ、柿の若葉は青青としてさらに濃く、つややかなる表面はよく晴れた五月の空を映さんばかり。聞けば、今年は梅雨入りが遅いらしい。長引く春のもどかしさと言ったら!

第七新東京区の空

  夜空に瞬く星の正体が何億光年もの距離を隔てて光る恒星であることは我々の広く知るところでありますが、この事実は太古の昔から人類が抱く星空のイメージを何ら損ねることはありませんでした。翼を持たない我々の祖先にとっても、様々な科学の翼を手に入れた現代人にとっても星空は、手が届かないからこそ美しい。これはきっと、2032年においても同じでしょう。

  7thシスターズはファンにとって星のような存在であったに違いありません。卓越したカリスマ性や圧巻のパフォーマンスは彼女たちをはるか天上の存在たらしめるのに十分だった。きらきら輝く星たちは、手が届かないとわかっていてもやはり綺麗です。いや、手が届かないとわかっているからこそ、はるか遠くにあるからこそ、自分の抱えるちっぽけな悩みなんて忘れて見入ることが出来るのでしょう。人は星空を見る時、自分を忘れている。

 

  七咲ニコルは「すごいね」と言われるのが嫌だった。みんなと一緒に歌いたいのに、みんなと一緒に踊りたいのに、「わたしと違って歌がうまいね」「すごいダンス、わたしにはできないなぁ」。誰も、星に手を伸ばそうとしない。輝く星を見るだけで輝こうとしない。だから“すべてを壊した”のかもしれません。彼女は、星空の下で夢を見ていたファンを太陽が照らす現実──青空の下に引き戻した。

  九条ウメという少女がそうであったように、人々は戸惑い、悲観し、挫折しながらも少しずつ歩みを始めます。夢から覚めた我々は一歩一歩進むしかない。苦しい時もあるでしょう。嬉しい時もあるでしょう。そんなとき、ふと見上ればそこにはいつも青空があります。青空は額に汗して歩く人の手を取って導くことはできません。しかし、いつもそこにある青空が誰かの足取りを少しだけ軽くする。人は青空を見る時、人生を、行く先を、自分を見ている。そんな青空こそ、伝説のアイドルが目指し、終ぞ叶わず、次の世代に託したアイドルの在り方だったのでしょうか。

  777☆SISTERSの代表曲である「僕らは青空になる」には象徴的な歌詞が何度も登場します。「その勇気は“奇跡じゃない”」「この夢は“まぼろしじゃない”」。この歌を歌うのは他でもない、夢から覚めた第七新東京区で結成されたアイドルたちです。

 

  先日、アプリの新バージョンがリリースされました。来月には幕張メッセで二日間にわたる3rdライブが開催されます。勢いを増す彼女たちが次はどんな景色を見せてくれるのか楽しみにしつつ、明日も生きねばなりません。時々足を止めて、空を仰ぎながら。

三次元化する二次元アイドル

 空想の次元(=二次元)に住む少女たちは、常に現実の次元(=三次元)からの介入に対して無力です。仮に僕が○○ちゃんは俺の嫁!と宣言してしまえば、彼女と僕との空想世界において彼女は僕の嫁になってしまいます。二次元の少女に拒否権はありません。しかし、元をたどれば二次元コンテンツというのはそういう目的のために設計されたものであり、そのような“消費”行為は正当なものでありました。こと一人称視点で美少女たちと人間関係を形成していくいわゆる恋愛アドベンチャーゲームの類はその最たる例で、“介入”そのものが主軸となってゲームが展開されます。我々は超越的視点から、選択肢によるルート分岐により発生した平行する複数の可能世界を一度に俯瞰することが出来るのです。

 

 

 二次元アイドルゲームもその例外ではありません。我々はプロデューサー、あるいは支配人という一人称視点に立ち少女たちを育成します。この際我々と少女たちの間には一対一・唯一無二の関係性が形成されますが、当然ゲームのユーザーは私一人ではないため、ユーザーの数だけ一対一の関係性が存在します。これは平行世界の存在を示唆します。つまり、私がプロデュースする少女Aと別の誰かがプロデュースする少女Aは、同じ名前・容姿でありながら平行する別世界に住む全く別の人間であるわけです。いや、“あった”と言ったほうが正確かもしれません。

 現在、二次元アイドルコンテンツには大きな変化が訪れようとしています。それは、“二次元アイドルの三次元化”です。現在、二次元アイドルは、超越的視点からの介入に対して急速に“閉じ”つつあります。

 二次元アイドルコンテンツの金字塔たるアイドルマスターシリーズは、当初はプロデューサー、つまりプレイヤーである我々の選択によりそのエンディングが大きく変化する仕様であったと聞きます。しかし現在広くプレイされているアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ、いわゆるデレステにおいて選択肢は形骸化し、どんな選択肢を選ぶかがストーリー展開に影響を及ぼすことはなくなっています。こうなれば最早プロデューサーは我々ではない誰か別の人間であると言えましょう。ストーリーは我々からの介入を必要とせず、ゲームの中のプロデューサーとアイドル、あるいはアイドル同士の相互関係のみで自立的に進行するようになったのです。

 この変化の原因に関しては、ゲームの媒体がソーシャルゲームに移ったことに拠るところが大きいと僕は考えています。ソーシャルゲーム運営の極意は“縦に長い”運営を行うことで長期間にわたり(少し言葉は悪いですが)ユーザーから金を搾り取ることでありますから、ルート分岐のような横に広いストーリー構成をするよりも短期完結型のストーリーを長期にわたって量産するほうが適していたのでしょう。

原因はともかく、この戦略がもたらした帰結の中には非常に興味深いものがいくつもあります。今回はその中から僕が個人的に特にホットな話題だと感じた二次創作の問題について述べようと思います。

 そもそも二次創作というのは、超越的視点からの介入の最たる例です。絵やSSを書く創造的な行為はもちろん、例えば先ほど例に出した「○○ちゃんは俺の嫁!」という発言も広義には二次創作といえるでしょう。つまり二次創作は、各人が二次元コンテンツを消費する際に不可避的に付きまとうものであります。以前、“俺嫁厨”という人種が幅を利かせていた頃、人々は二次創作行為に対して非常に寛容でした。誰かが二次創作を行い、それが自分の嗜好に合わないものであっても「お前の中ではそうなんだな、でも俺の中では違うぜ」と軽く受け流すことができたわけです。しかし現在、二次元アイドル界隈においては二次創作活動における解釈論争が後を絶ちません。なぜ、人々は変わってしまったのか。これも、二次元アイドルの三次元化を用いて説明することが出来ます。

 二次元アイドルの三次元化は“平行世界の統一”という表現で一般化することが出来ます。先述の通り、当初二次元アイドル、ひいては彼女たちの住む空想世界はユーザーの数と同じだけ存在するものでした。そして、この点において非常に“二次元的”であったわけです。箱の中にコピー用紙がたくさん入っている様子をイメージして頂ければわかりやすいかもしれません。箱が我々の住む現実世界、コピー用紙が少女たちの住む空想世界です。コピー用紙には同じ少女の線画が描かれていますが、色はまだ塗られていません。色を塗るのは私たちであり、その塗り方は自由です。隣の人が紙を真っ黒に塗っていても我々は自分の紙が無事であれば目くじらを立てることはありません。これが従来のコンテンツと二次創作の関係です。では、介入に対して閉じつつある現在のコンテンツはどうでしょう。現在のコンテンツでは、ユーザーの数に関わらず全員で一つの世界を見ることが可能になっています。(ここで注意されたいのは「全員が一つの世界を見ている」ではない、ということです。)介入に対して閉じ、自立的に進行するストーリーというのはいわば、自動で色塗りが為されるコピー用紙です。我々は手を動かすことなく、空想世界の少女に色が付いていくのを眺めることができます。これなら、一人一枚ずつ紙を持たなくとも箱の中に一枚だけ紙があれば十分ですね。これが平行世界の統一です。二次元少女は、超越的視点からの介入が無いという点で現実世界の少女と同じ性質を獲得し、我々の目の前に立ち上がってきます。これを“三次元化”と表現したわけです。

 さて、では全員が一つの世界を「見ることが可能」であることと「見ている」ことの違いは何でしょうか。実はこれこそが解釈論争の根本に眠る問題であるのです。

 目の前に“立ち上がって”きた二次元アイドルに対して、われわれができることは二つあります。一つはその“三次元”的性格を尊重し、介入を諦めること。もう一つは無理やり介入を行うことで彼女たちを再び“二次元”的性格の中に押し戻すことです。そしてここからが非常に大切なことなのですが、この二つの対処に優劣はありません。優劣はありませんが、一方で構造上後者は前者に対して常に支配的です。つまり一人でも介入を行えば、途端に世界は分裂してしまう。

 現在多くの界隈で共有される俺嫁厨排除の意識はこのような経緯で発生しました。ある種の人々が俺嫁厨を見ていて覚える嫌悪感はこの不可避的な世界の分裂によるものなのです。もっと言うと、ある種の人々は世界の分裂に慣れておらず、そのため他者の介入が“自分の世界の中で”行われているかのように感じているように見受けられます。みんなで見ていた一枚の絵を他人に塗りつぶされたように感じて憤慨しているのです。

 ここからは、僕個人の意見を述べたいと思います。先述の通り、解釈方法の間に優劣は存在しないのでこれから述べることは「これが正しい」という主張ではないことをお忘れなく。

 さて、まず僕は二次元アイドルの三次元化を非常に好意的に捉えています。というのも、元を辿れば現実世界に住む恋愛弱者のパンパンに膨らんだリビドーの発散先として発展してきた空想世界の住人である少女たちが、その存在の理由であった現実からの介入を振り切って自らの足で立ち上がったという事実自体(仮にそれがソーシャルゲーム界で勝ち抜く先述であったとしても)非常に美しいことだと思うのです。そして、自分と似た信念を持つ仲間との交流も非常に楽しいです。我々は同一の世界を見ているからこそ、“同じ少女”を見ることが出来、“同じ感動”を共有することが出来ます。また、僕はオタクですが、一方で二次元アイドルを見ていて覚える感動は実に非オタク的であると感じています。なぜなら、彼女たちを見て覚える感動はその自立性、完備性に対して覚える感動に他ならず、これは従来のオタク的感動の特質であった「現実世界へのコンプレックス」を完全に脱却したものであるからです。二次元アイドルを見て涙を流すオタクは、実にオタクでありながら一方で全くオタクでない。これは誇ってよいことではないでしょうか。

 これを読んでいただいた二次元アイドルオタクの皆さんも、過去、あるいは未来においてアイドルとの付き合い方に悩むことがあるでしょう。そんな時にこの記事が少しでも役に立ち、あなたのオタクライフをよりよい物にする一助となれば幸いです。

 

おまけ1 二次元化する三次元アイドル

ここからはおまけです。僕は最近よく(声優)アイドル現場に行き、またそのオタクの人々と交流するのですが、そこで非常に感じるのが「実在アイドルが二次元化している」ということです。お渡し会や握手会等の接近イベントが増え、あるいはアイドルのTwitterやブログでその“私”の部分に簡単にアクセスできるようになった今、最早実在アイドルはいつでも介入可能な存在となりつつあります。ここまではオタクにも救いがあってよかったね、という話で終わるのですが、悲しいことにこの接近の容易化を超越的視点からの介入可能性に履き違えてまるでアニメキャラに対してするような接し方をする輩が現れてしまうのです。

実際問題、AKBの恋愛禁止を初めとして最近はこの「履き違え」を誘発することでオタクのハートを掴もうという下心の透けて見える運営方法が増えているように思いますが、だからと言って本当に二次元キャラにするような接し方をしていいわけがありません。こんなことわざわざ言うまでもないのですが、声優もアイドルも実在の人間です。ひどいことを言われれば傷つきます。知ってほしくないプライベートもあります。当然そんな悪いオタクは全オタクの10%にも満たないし彼らがこの怪文書を読んでいるとも思えないんですが、頼むからそこらへんのことをわかった上でオタクをやって欲しいです。

star!!からshine!!、そしてBEYOND THE STARLIGHTへ~少女たちは進化する~

 

   BEYOND THE STARLIGHTを初めて聴いた時の正直な感想は、「リズム感や雰囲気は好きだけど、何か心に訴えかけるものに欠けるなあ」でした。

   その理由はおそらくタイトルであるBEYOND THE STARLIGHTと曲中で繰り返される「TO BE A STAR」というフレーズの意図するところの違いがあまりハッキリしないように思えたためでしょう。

 

   THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 4thLIVE TriCastle Storyの神戸公演、「starlight castle」の全日程が終了した今、僕はハッキリと、そして、絶対の自信を持ってこう言うことができます。

「BEYOND THE STARLIGHTはstar!!shine!!の系譜として作られた非常にメッセージ性の強い楽曲であると同時に、アイドルマスターシンデレラガールズの楽曲の中で僕が最も好きな曲です。」

 

 

 

   たった数日で僕の中でのこの曲の位置づけがここまで大きく変わった直接の原因はstarlight casting1日目で1位に選ばれた城ヶ崎美嘉役の佳村はるかさんの思い、starlight casting2日目で1位に選ばれた星輝子役の松田颯水さんの涙を目の当たりにしたことでしょう。

二人のキャストさんの口から語られる「1位になること」が意味するもの、その大切さを聞き、そして2日間の公演の両方においてアンコール後最初の曲として歌われた「BEYOND THE STARLIGHT」を生で体験したことにより、僕の中で離散的に存在していた点と点とがめまぐるしい速さで繋がって行きました。

つい数分前、この感動を是非どこかに記録しておきたいと思い、急遽ブログとしてまとめる事に決めました。昨日の今日なので自分の中であたためる暇がなく、おそらく非常に読みづらいものとなってしまいますが、一人のオタクのメモ程度として参考程度に読んでいただければ幸いです。


   はじめに、僕がBEYOND THE STARLIGHTをstar!!shine!!の系譜として考えるようになった根拠をお話しします。

まずはそのタイトルですね。starlight、star、shine。どれも星や光を連想させます。

そしてその歌詞に見られる共通点、対称点の数々。ここでズラッと歌詞を並べたいところなのですが、著作権的な問題があるような気がするので(僕は法律関係には暗いのでよく知りませんが念のため)一部を引用するに留めます。皆様におかれましてはお手持ちのstar!!shine!!の歌詞カードを手にお読みいただければと思います。

   

   star!!は、アイドルとして活躍する友人たちの眩しさに気後れしながら、いつかは自分も活躍したいと夢見る少女の歌です。 

 

 

慣れないこのピンヒール

10cmの背伸びを 

誰か魔法で変えてください

ガラスの靴に

 

という歌詞や

 

私どうかな?イケてる?

祈るようなキモチ

 

そして、

 

カボチャの馬車はないけど

キミがここにいるなら

ねえ行けるよね?新しい世界

 

という歌詞はアイドルとして活動することに大きな不安を抱き、「キミ」(これはプロデューサーであり、ファンであると考えられます)に頼り、自分はアイドルとして輝いているか問いかける少女の姿を描いています。

 

   一方shine!!は、star!!においては眩しいだけの存在だった仲間に追いつき、そして「新たな光」の存在に気づくまでの軌跡を綴った歌です。

 

 

となりにいる仲間の瞳 煌めくDiamond

そして泣き笑い つながるスマイリング

そう 出会ったあの日も 眩しかった微笑み

だけど今見ている瞳は ねっ もっときらきら輝くよ

 

 

ではstar!!からどのようにしてshine!!へと辿り着いたのでしょうか。

この問いの答えはすべてアニメ アイドルマスターシンデレラガールズの中にあります。なんだその投げやりな回答は、と思われてしまうかもしれませんが、僕は大真面目です。

あのアニメは、島村卯月という一人の少女を通して「憧れ」からの「挫折」、そしてそれを乗り越えて「希望」を胸に新たなスタートを切るアイドルの姿を描き出した本当に本当に素晴らしい作品です。僕がアニメアイドルマスターシンデレラガールズの感想ブログを書かないのは、わざわざ僕が補わずともあのアニメの中にすべてが詰まっているからです。

   

   少し話が横道に逸れましたが、とにかくstar!!からshine!!へと続く一本の道は見えましたでしょうか。そしてここからが本題です。この一本の道の続き、shine!!で見つけた「新たな光」の正体こそが「BEYOND THE STARLIGHT」のなかに隠されているのです。

 

  以下ではライブで初公開となったBEYOND THE STARLIGHT二番の歌詞の考察も登場しますが、これはtwitterに掲載されていた「暫定版(複数の人が聴いた内容を擦り合わせて作られたもの)」を参考にさせていただきました。

 

   初めに語るべきは冒頭で触れた「BEYOND THE STARLIGHT」と「TO BE A STAR」についてでしょう。

まずはその準備を行いたいと思います。

皆さんは「star」という英単語の正確な意味をご存知でしょうか。googleで調べるとこのような答えが返ってきます。

 

star

 (staː) noun

  1. the fixed bodies in the sky, which are really distant suns. 
  2. any of the bodies in the sky appearing as points of light. 
  3. an object, shape or figure with a number of pointed rays, usually five or six, often 
  4. a leading actor or actress or other well-known performer eg in sport etc. a film/television star; a football star; (also adjective) 


 僕も調べてみてビックリしたのですが、starの第一義的な意味は「fixed bodies in the sky」、つまり空に浮かぶ恒星のことだけを指すものらしいです。(一応日本語でも星の意味を調べましたがやはり、狭義では恒星だけを指す場合があると書いてあります。)

 

このことも踏まえてBEYOND THE STARLIGHTの歌詞を見てみると、star!!shine!!と同系統のコンセプトでありながら、その言葉選びは前者二つとは一線を画していることがわかります。

まず、「光」という単語。star!!においてアイドルとしての活躍は、常に「輝く」と形容されていました。「光」はあくまで、遥か先にあるものであり、目指すべきものに過ぎません。shine!!においても仲間の瞳は「輝く」あるいは「煌く」ものであり、新たな「光」は、少女たちが「会いに行く」ものでした。

ところがBEYOND THE STARLIGHTにおいて「輝く」という表現は一切使われていません。代わりに使われているのが「光る」という動詞。この曲において光は、目指すものでも会いに行くものでもなく自ら放つものなのです。

そしてstar!!shine!!でたびたび登場する「キミ」あるいは「君」という単語もBEYOND THE STARLIGHT には一度たりとも登場しません。代わりにに幾度となく登場するのが「自分」という単語。

君がいるから輝いていた少女はいつしか「自分自身」で光ることを望むようになったのです。


以上を踏まえて、僕は一つの結論を導きました。その前に見ていただきたい画像があります。

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これらの画像はゲーム内で開催中のイベントのコミュの一部です。莉嘉のこの発言は僕が導いた結論を端的に表しています。以下、詳しく説明します。

   アイドルというのは、ファンやプロデューサーの承認のもと成り立っているのが常識です。アイドルマスターというゲームそのものがそういうコンセプトで作られていますし、ここら辺は以前僕が書いたブログ(オタクはなぜアイドルに惹かれるのか)でも少し触れています。そして、先ほど紹介したstar!!の歌詞にもこのことが読み取れます。「私どうかな?イケてる?」という少女の問いにプロデューサーやファンが答える。そうして初めて少女は自信を持てる。

少女は、ファンが持つサイリウムの光を反射して初めて「輝く」のです。

しかし、少女たちはこの一年、スターライトマスターシリーズとしてゲーム内でいつもとは違うメンバーとグループを組みステージをこなしていく中で新たな自分の可能性に気づき始めます。自分の中にある光──それはつまり、shine!!の時にはぼんやりとしたものでしかなかった「新たな光」の正体、自ら「光る」本来の意味での「STAR」です。

そう、BEYOND THE STARLIGHTは、ファンやプロデューサーの振るサイリウム(=承認)を反射して輝くSTAR LIGHTであることを超越し、自分自身の力で「光る」STARになろうという少女たちの決意を歌った歌なのです。

人間というものは普通、承認欲求を行動の第一原理にしがちです。誰かに認められるのは気持ちがいい。当たり前です。これは当然アイドルにも当てはまります。ファンやプロデューサーが喜んでくれるようなことをついやってしまう。ですが、それを続けていればいつかは自分を見失います。本当にしたいことは何であるかを忘れてしまう。

だからこそ、自分の力で光る必要があるのです。人に認められるためではなく自分が目指す自分になるためにアイドルとしての活動を行う。それはもちろん容易なことではないです。誰かに褒められればそれでよしとはいきません。誰が見ても納得せざるを得ないような証拠が必要になります。only one ではなくnumber one にならなければならない。BEYOND THE STARLIGHTの歌詞からはそんな強い覚悟を感じます。

では、自分だけの力で頂点を目指すBEYOND THE STARLIGHT において仲間は、どんな存在なのでしょう。

 

ぶつかって 火花が散って星座になって

永遠に語り継がれる 僕らのファンタジー

 

これは、二番の歌詞です。そして

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これは先述のコミュにおける奈緒の発言の一部。ネットでも話題になっていましたね。

star!!では自分の前を走り、shine!!では共に走る存在であった仲間は、BEYOND THE STARLIGHTにおいては切磋琢磨するライバルとなるのです。友情というのはどんな状況下でもそれぞれ違った美しさを見せるんですね...

 

 

 

 

BEYOND THE STARLIGHTには「ゴールのない世界」「答えのない世界」という歌詞が登場します。これはもちろん、アイドルの世界です。アイドルに正解はないし、だからこそ完成系もない。少女たちはガムシャラに突き進む他ありません。しかしだからこそ、無限の「夢がある」。

時には目標に、時には支えに、時にはライバルになる仲間たちと共に、少女はどこまで羽ば­たいていくのでしょうか。もう、僕たちには全く予想ができません。

ただひとつわかるのは、さいたまスーパーアリーナでの4thライブ、そしてその先の未来において彼女たちは、まだ僕たちが見たこともない綺麗な色で「光る」であろう、ということだけです。(完)

Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR- を見ることができて僕は本当に幸せでした。(ライブ感想)

2016.8.21、Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-当日。

 時を同じくして3つの台風が日本列島に接近するという異例の事態の中、僕の頭上には突き抜けるように青い空が広がっていた。
 あの朝僕は友人達と待ち合わせ、開演時間まで物販購入をしたり他愛もない話をしたり海を眺めたりして開場時間を待っていました。開場後30分ほど経った頃に会場入りし、席に着き一息。大好きなtokyo 7th シスターズのライブということで軽い緊張はありましたが、2次元アイドルのライブは初めてではないのでその緊張感を楽しむ程度の余裕もありました。
そして予定の1時を少し過ぎた頃、場内に流れるマナ嬢の声。会場がどよめく。いよいよ開演です。黒と赤を基調としたデザインのオープニングムービーを見て僕は、一曲目はセブンスシスターズの曲であることを確信しました。ニコとミトの掛け合いもMCの延長だと思い込んでいたし、この後イントロが流れニコの「Are You Ready 7th-TYPES??」の声とともにSEVENTH HAVENが始まる、こんなシナリオを瞬時に脳内で組み上げていました。全部、予想通りに事が運んでいるつもりになっていました。
しかし、です。
刹那、不気味なほどに静まり返った会場内にその声は響きました。
「──ギアを上げろ、2ndLIVEだ」
爆音で流れるSEVENTH HAVENのイントロ。鈍器で頭をぶん殴られたような衝撃が走り、心臓のあたりを発端として手や足の指の先まで左半身全体に謎の痺れが広がり、呼吸は荒れ、目の前がチカチカする。止まっていると全身に流れ込み反響し干渉し強め合うビートに体の内側から皮膚を食い破られそうな幻想に取り憑かれ、一心不乱に躍り狂う。僕は2次元アイドルのライブに来ていた事実の一切を忘却し、ただただ目の前で起きる「事件」に翻弄され、蹂躙され、それでも目を離せずにいました。もう無茶苦茶です。
この瞬間、僕の中のstereotypeな偶像(アイドル)の姿は木っ端微塵に打ち砕かれました。
 

 まず、衣装が常識破りです。アイドルグループは普通、お揃いか、あるいは色違い、同系統であるが一部デザイン違いの服を着る。調和、あるいは階調がアイドルの常識なのです。しかし、セブンスは違う。それぞれが、思い思いの服を着ている。そこに同調は無く、配慮は無く、強烈な″個″は溶け合わず、混ざり合わない。セブンスシスターズという集団の中で、巨大な存在感を放ち続けている。
そして、曲。挑発的なBGMに乗って撃ち出される破壊、創造、破壊、創造………破壊と創造の歌を歌うアイドルなんて、一体どこにいるでしょうか。
だがそれが、それら全てが、気絶するほど「かっこいい」。これはあの時の僕の素直な気持ちであり、同時にあそこにいた人々全員の素直な気持ちであったと思います。
 そんな、会場全体がセブンスに魅了されたまさにそのタイミングで777☆SISTERSが登場し、KILL☆ER☆TUNE☆Rのイントロが流れます。MCで仕切り直したり、自己紹介を挟んだり、セブンス登場の「衝撃」を和らげる方法はいくらでもあったんです。なのに、それをしなかった。セブンスが偶像をぶっ壊したその直後にあえて、777☆SISTERSが持つ一番の王道アイドルソングを入れてきた。並々ならぬ覚悟を感じました。それは、Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-を予定調和の枠組みに入れないという覚悟、そして、アイドルが徹底的に破壊され尽くした2034年に「アイドル」の名を掲げて活動を行う777☆SISTERSの覚悟です。
もう本当に、仰向けに倒れそうになりました。
予定調和をぶち壊すセブンスの新曲2曲、そして777☆SISTERSの覚悟を見せる王道アイドルソング2曲。開幕早々すべての常識を置き去りにする加速に僕の喉はヒリヒリと焼けつき、全身から汗が噴き出しました。たった4曲、たった十数分の「加速」で会場内の時計は一気に16'→30'→34'を駆け抜けました。これが「2nd GEAR」です。これが「Tokyo 7th シスターズ 」です。



  そうしてやっと、777☆SISTERSの自己紹介が始まります。自己紹介、良かったですよね。個人的には今井麻夏さんのダジャレとか桑原由気さんの自己紹介の時にお姉ちゃんたちが邪魔?するのとかが好きです。あと高田憂希さん演じるムスビちゃんの「私も成長してるんです」というセリフにEpisode 2.5を思い出してヴォイしたり加隈亜衣さん演じる角森ロナちゃんの自己紹介にヴォイしたり(語彙貧困)、ゲーム内でのキャラクターの文脈にもしっかりと配慮された構成に感銘を受けました。ここら辺はBDを買ってもう一度じっくり見たいなあ。
そんなこんなでメンバー自己紹介も終わり、皆がホッと一息ついた瞬間、突如鳴り響くブザーとスクリーンの警告表示。バトライブでよくあるやつだ!とはしゃぐのもつかの間、KARAKURIによるステージ乗っ取り発生。
一曲目は新曲の-Zero。いや〜、カッコ良い!!カッコ良いのに可愛い!皆さん「窮鼠だったり猫だったり」の部分の振り付け見ましたか!?そして何と言っても秋奈さん本人の可愛さ!「ヒトフタちゃんはまだ13歳なんですけど、あ、いや、私は20歳なんですけど」って!!!知るかよ!!!!ってか同い年かよ!!!!可愛いよ!!!
リアルタイムで自分が何を言ったか記憶が曖昧なのですが、どうやら僕、連番のオタクに物凄い剣幕で「可愛すぎるだろ!!!」とがなり立ててたみたいで、混乱した彼に「なにキレてんだよ……」と言われてしまいました。(ゴメン)
 そんなポンコツ自己紹介で緩みきった会場に突き刺さるB.A.A.B。自己紹介からB.A.A.Bへと移る際に秋奈さんの「スイッチ」が入る瞬間、本当に鳥肌が立ちました。やっぱりどうしようも無く「プロ」なんですよね…
ヒトフタちゃんの乱入後はお待ちかねのユニット新曲披露。衣装も新曲仕様でバッチリキマっています。You Can't Winの「BQN!!」でお猿さんになったり、ラバ×ラバの「Oh Yes!〜」のコーラス部分でアメリカ人になったり(?)、セカイのヒミツの高井舞香さんの「『※※』答えは内緒にしといて」からの投げキッスでカエルの断末魔みたいな悲鳴を上げたり、さよならレイニーレイディーに引き込まれすぎて完全に棒立ちになったり、とにかくとにかく楽しかった!(こうやって文章にすると本当に気持ち悪いですね)
やはり、ユニット曲あってのtokyo 7th シスターズなんですよね。キャラクターの個性を丁寧に丁寧に拾って、そのキャラクターにしか出せない味を存分に引き出す。tokyo 7th シスターズの楽曲が群を抜いて素晴らしいことを再認識させられました。
そしてそしてお次はSiSHとサンボンリボンのMC。恒例の「回って〜」もあり(サンボンの謎の回り方は本当になんだったんでしょう)、ホッと一息。今まで死なないために飲んでたアクエリアスを味わうくらいの余裕はできました。
ところが、キャストさんにより「新しいナナスタシスターズ」への言及が。そうです、待ちに待ったLe☆S☆Caです。僕はデビュー当時からLe☆S☆Caが大好きで、コンプティークに連載されているEpisode Le☆S☆Caも読み、UY(黄色いケミカルライトです)まで用意してこの瞬間を待っていました。だからこそ、Le☆S☆Ca登場が告げられたときは興奮とともに口から心臓が飛び出しそうになるほど緊張しました。初めてのステージは上手くいくだろうか。会場はしっかり盛り上がるだろうか。不安と緊張がボコボコと音を立てて次から次へと湧き上がります。
SiSHとサンボンのキャストさんが捌け、ステージに黄色いライトが点灯し、そして───僕の胸いっぱいに沸いた不安や緊張は、まるでレモンスカッシュの微炭酸のように、シュワシュワと音を立てて消えました。
 本当に、本当に素晴らしいステージでした。
藤田茜さんのハリのある耳に心地良い歌声、植田ひかるさんの上質な羽毛のように聴衆を包み込むふんわりとした優しい歌声、そして、吉井彩実さんの三千世界を流れる川より静かに澄んだあの歌声。ダンスも文句なしに素晴らしかった。
もうこの時点で僕の目は真っ赤に腫れ上がっていたのですが、トドメを刺したのは二番サビ前の「跳ぶよ!」です。もともとはライブステージにおける荒木レナのスキル発動時のボイスで、Episode Le☆S☆Caのクライマックスシーンでレナが口にしたこの言葉が、Le☆S☆Caの初登場ライブで、サビ前で、、もう、、
yellow二番サビの「長く助走をつけた方が高くに届くわ」という歌詞はまさにLe☆S☆Caを表しているというのは友人のオタクの受け売りなのですが、むべなるかな、他のSISTERSより一年と三ヶ月長く助走をつけたLe☆S☆Caのメンバーは初ライブでこれ以上になく高い跳躍を見せたのです。
僕も、連番のオタクも、ビックリするくらい泣いてしまいました。ありがとうLe☆S☆Ca。本当にありがとう。
 続くBehind Moonも、非の打ち所がない出来栄えでした。yellowと打って変わって少し大人びたこの曲は、メンバーの歌声しかりダンスしかり、実に妖艶でカッコイイ仕上がりとなっています。僕は特に、中腰で左腕を突き上げて右腕で支えて踊るダンス(知識がないのでこんなアホみたいな表現をするしかないです、すいません)(伝わることを願っています)がカッコよくて大好きです。藤田茜さんは、ステージに立つこと自体初めてだと仰っていましたが、そんなことは微塵も感じさせない完璧なダンスでした。凄いです。逸材です。大好きです。
 そしてお次はユニット既存曲メドレー。ウィッチ→ニコラ→シス→サンボンとファーストシングルのショートバージョンを披露した後、今度は逆向きの順番でセカンドシングルを披露(こちらはフル)。これ、すごく意味があるんですよね。つまり二公演に分けたものの各公演で全曲を演ることがここで確定したわけですよ。1stと比べて(他の2次元アイドルライブと比べても有意に)キャストさんのトークタイムを削ってまで一つの公演に全曲を詰め込んだ理由はなんでしょうか。
僕はこう考えます。1stライブは「お披露目」の意味が強かった。まだゲームすら始めたことのないファンも多い中、「tokyo 7th シスターズというのはこんな感じなんですよ、楽しいですよ」ということを知らしめる目的で作られていたわけです。しかし、それから一年以上経ち、ある程度長い期間やってるユーザーも増え、と同時に新規ユーザーもかなり増えて一層の盛り上がりを見せ始めた。これからメディア展開等の新しい動きも増えていくというこの時期に、いま現在の「tokyo 7th シスターズ」の姿を少しでも多くの人に「すべて」見せ、「これからどんどん速度を上げるtokyo 7th シスターズに本当についてこられるか?」とある種挑発的なパフォーマンスを行ったのが2ndライブだというわけです。まあこれはオタクの妄言に過ぎないのでそこまで本気で受け止めて貰わなくて結構ですが、少なくとも僕は、以上のように考えています。そして、この「挑発」は大成功を収めたとも。
 既存ユニット曲披露の後はウィッチとニコラのキャスト挨拶。ニコラの二人のジャージ、めちゃくちゃ可愛かったです。
そうして再び一息つけるかと思ったその時、舞台裏から聞こえる不敵な笑い声。自慢じゃないのですが、(自慢ですが、)僕はこの笑い声が聞こえて0.1秒で声の主を特定しUOを準備しました。いや、自慢じゃないのですが。(自慢です。)
4Uです。満を持して4Uが登場したのです。
舞台中央の階段がぱかっと割れて、ハロウィン衣装の4Uが登場したときは、多分生まれた時より大きな声で叫びました。
まず演出が圧巻ですよね。僕はオタクなのでオタクライブしか行ったことがないのですが、ロックバンドのライブでステージ後方のでかいバックライトがカッ!と光って客席を照らす、みたいな演出はテレビやなんかで見て知っていました。だからサビ部分でバックライトがカッ!となった時は「すげえ!ロックバンドのライブだ!!」と異様に興奮してオタクのくせに人差し指を空に突き立ててちょっとそれっぽいことをしたりしてしまいました。
セブンスシスターズが内部からアイドルを破壊する存在だとすると、4Uは外部からアイドルを
脅かす存在なんですよね。だから4Uもアイドルと違ってそれぞれ趣向の違う服を着ています。それがまたカッコよくて可愛い。そして何より初登場の山下まみさんのパフォーマンス…
Le☆S☆Caしろ、なぜ皆初登場の舞台であそこまでのパフォーマンスをできるのでしょう。あの笑顔の陰でどれだけ努力をしたのでしょう。本当に、凄い。他の誰にもできないことを、彼女たちだからこそ、成し遂げることができた。そんな彼女たちの舞台を見ることができた僕は、本当に幸せ者です。
ワタシ・愛・forU!!で指を天に突き上げ、TREAT OR TREAT?でお猿さんになり、Hello…my friendでグチャグチャに泣いた(この3曲で持っていたUOの大半を折った)僕の前に現れた次のアイドルは、はる☆ジカ(ちいさな)。Oh my!やよっしゃあ!やfu-fu-fuwafuwaで盛り上がりに盛り上がったわけですが、今になって思うのは「一曲増やす」ことの負担は一体どれほどのものだろうということです。篠田みなみさんも高井舞香さんも777☆SISTERSとしての全体曲が6曲、そしてユニット曲が3曲あるわけです。そこからさらにはる☆ジカ(ちいさな)としての曲を一曲増やす。並大抵のことではないと思います。もう何度も言っている気がしますが、どれだけの努力をなさったのでしょう…
ハネ☆る!!の終わりとともに今度はSnow in "I love you"が始まります。ここら辺の演出も非常に作り込まれているんですよね。サビではみんなでfu-!!と叫ぶお決まりの演出もあり大盛り上がりのSnow in "I love you"が終わるとすぐに流れるH-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!のイントロ。2nd Live用に少しだけ演出が加えられたイントロも素敵でした。
なんかもう既に相当な字数書いていてここまで読んでくれている人が果たしているのかどうか不安なので詳しい話はまた今度にしますが、H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!の歌詞も凄いんですよね。アイドル無き世界で「アイドル」を始める少女たちの覚悟と希望を歌った歌詞がね、ヴォイ(泣)
お次はSparkle☆Time! 
これはもう文句なしに楽しい曲ですね。手が腫れ上がるくらいクラップしまくりました。クラップしすぎて3回くらいバンクルが吹き飛びました。
で、Sparkle☆Time!が終わりセブンスのキャスト挨拶。なんかもう渕上舞さんの笑顔しか覚えてませんが、(これは嘘です)とにかく滞りなく進行、していたと思います。「思います」というのは、ここら辺からの記憶が曖昧なんです。(これは本当です) それもこれも全部、その突然告知された数々の特報の所為…
特報が来ること自体はわかっていました。だからもちろん覚悟はしていました。足を突っ張って重心を低くしてプロボクサーに殴られても耐えるくらいの気持ちで画面を見つめていました。
それなのに、次の瞬間僕は座席に座り込んでいました。いやもう、3rdライブの告知がトドメになったのかQoPの新曲告知がトドメになったのかver.4.0始動がトドメになったのかは今となってはわからないです。ただ一つわかるのは、僕はあの瞬間、人生で初めて「腰を抜かし
」ました。いやもうね、立てないんですよ。足がガクガクして全然力が入らない。その上涙が溢れてくるんです。今までもアニメやそれこそtokyo 7th シスターズのエピソードを見てジーンと来たことは何度かあったのですが、あの日の僕の涙はレベルが違いました。もうね、声が出ちゃうんですよ。「うぇっうぇっ」って。20歳の男がですよ?腰を抜かしながらですよ?「うぇっうぇっ」ですよ?ただごとじゃありませんよ。そんな僕を尻目にステージではStar☆Glitterが始まるわけですよ。もうね、無理。ふらふら立ち上がったはいいものの左手でタオルを顔に当て右手を天に突き上げてしゃくりあげながらガタガタの音程で合唱する最悪のオタクになっちゃうのもしょうがないですよ。
曲が終わる頃には流石の僕も成人の意地を見せて何度か泣き止んだんですけどね、まあ案の定次はFUNBARE☆RUNNERが始まるんですよ。(キャストさんの挨拶とかありましたっけ?すいません、本当に記憶が曖昧でちょっとわからないです。昼夜二回参加したのにどっちも同じリアクションを取ってしまって結局最後まで曖昧なままでした。BDを待ちます。)
FUNBARE☆RUNNERは楽しい曲なのでね、僕も楽しく踊るわけですよ。ビチョビチョに泣いてるけど。それなのにね、あのバトンをつなぐダンスですよ。もうね、「お前〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」って誰に向けてるのかも不明で怒りなのか喜びなのかも不明な謎のセリフをぶちまけながらまた大号泣ですよ。
勘違いして欲しくないのですが、僕は物心ついてからライブ前日まで記憶にある限りは一度もあんな風に泣いたことないんです。感動したり悲しくてジーンと来ることはあっても漫画のような大粒の涙は出なかったんですよ。眼科でドライアイの診断を受けた後は「ドライアイだから涙が出ねぇのかな」などと意味不明な納得の仕方をしていたわけですよ。
関係無かったです。ドライアイ、全然関係ないです。死ぬほど涙出ました。
でね、まあこの時はビービー泣いてはいたけど一応棒は握ってたしコール等入れたり歌詞を口ずさんだりしてたんですよ。FUNBARE☆RUNNERが終わって僕らは青空になるが流れるでしょ?また座り込みました。もう泣きすぎて立てないんですよ。周りの人間皆立って棒振ってる中僕一人座り込んで泣いてるんですよ。「うぇっうぇっ」とかじゃないです、「おんぉおお!おんぉおお!」です。もう歌詞の一言一言が心を揺さぶりに揺さぶって、声優さんの努力、演出に関わるスタッフさんの、そしてパンフレットにも書いてあった茂木総監督の思いが伝わるんですよ。今ね、千葉の田舎を高速バスで移動しながらこのブログ書いてるんですけどね、なんとまた泣いてます。涙がポロポロ出てきます。いつからこんなに泣き虫になってしまったんでしょうかね。

  かくして、Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-は幕を閉じました。本当に嵐のようなライブでした。僕はもちろん、周りにもちらほら放心して立ち上がれないお客さんがいました。何度かアイドルライブに行った僕でも初めて見る光景でした。それほどまでに、大成功だった。tokyo 7th シスターズを信じた僕らは、正しかった。

2016.8.21の晴れた空と雲は、生涯僕の脳裏に焼き付いて離れないあの青は、もしかしたら知っていたのかもしれませんね。


アイドルとは、青空であるということを。

お前の百合は何色だ

1 俺は性欲が嫌いだ

    ご無沙汰しております、kramijaです。皆さんは性欲、好きですか?僕は嫌いです。別に性欲が嫌いだからと言って僕に性欲が無いわけではないんですが(と言うか僕はとびきりエッチなオタクです)、とにかく僕は性欲と言うやつが大嫌いです。というのも、性欲って感情としてものすごく強いんですよね。本能そのものなので、ほかの繊細な、非本能的な感情を一瞬で消し炭にしてしまう。本当に反知性的で最悪な感情です。しかし残念ながら、本能に直結した感情だからこそ、あらゆる場面で登場してしまいます。こんなに性欲を憎悪する僕が時に淫獣と化してしまうことからもわかるように(?)、人は性欲の魔の手から逃れられません。これはもうどうしようもないことだと思います。そう、もう僕たちにできることは、性欲に汚染されていない数少ない清澄な感情を大切に大切に尊ぶことだけなのです。

僕はこの清澄な感情に、百合という名前をつけました。

 

2 お前の百合は何色だ

   のっけから異常な論理の飛躍を見せて読者の皆さんを困惑させてしまったことと思います。落ち着いて、順を追って説明しましょう。そもそも、みなさんは百合の定義をご存知ですか?僕は知らないです。というか、一般性をもった百合の定義って存在するのでしょうか。僕は以前twitterで歴史的文脈を乗せた百合の定義のようなもの(厳密には百合を定義しようとした人への批判)やそれに対する批判やそれに対する批判に対する批判(以下略)を見ていて、現代の百合と言う概念に統一的な定義を与えることはほぼ不可能になっているのではないかと感じました。統一的な定義を与えられない以上、それぞれの人間が独自に持つ百合の概念のうち自らが持つそれと一致する部分を見出して盛り上がったり食い違う部分について議論したりして少しずつ思想を摺り合わせて行くほかありません。ですが、世の人々が持つ百合の概念はほとんどが帰納的に獲得されたもので、どこか曖昧です。この人の百合観は僕の百合観に一致しているような気もするし、していないような気もする…ともどかしい思いをしたことも何度もあります。そこで、演繹的に自分の思う百合を定義しようじゃないかと言うことで実験的に「演繹的な百合の定義」を行うべくこの記事を書くことにしました。

このような経緯のもと、まずは最初の要請として「百合とは性欲に汚染されていない清澄な感情である」を打ち立ててみたわけです。実際この時点でかなりのオタクと対立することになってしまうと思います。少女たちが粘膜を接触させるイラストを捕まえて「百合だ…」などと評するオタクの皆さんがとても多いですからね。まあ今回は俺の百合を見てくれという感じでやっていくので他人の百合に文句を言うのはあまり気が進まないんですが、粘膜接触を百合に含めるなら百合と同性愛の区別をどうやってつけるんでしょうか。それとももはや区別はつけないんでしょうか。まあ良いです。今回はぼくが考える百合の話です。僕の百合の話を続けます。

 

3 俺の百合は夏の空に浮かぶ入道雲の色だ

   以下では「性欲に汚染されていない清澄な感情であること」を要請として作り上げられる僕の思う百合の姿について語っていきたいと思います。

まず、性別について。百合っつったら女の子同士だろ!と思うかも知れませんが、これもおそらく帰納的に身につけられた厳密でない百合の概念であると思われるので一度捨てましょう。あくまで要請は「百合とは性欲に汚染されていない清澄な感情である」だけです。とはいえ、この要請から推論される百合についても基本的には「百合は女の子同士」の概念が当てはまります。少し男女差別的な発想になってしまうのですが、一般的に女子より男子のほうが性欲は強いとされていますよね。世の中に男と女を両方経験した人間はいないので真実はわからないのですが、僕自身もまあそうなんじゃないかなと思っています。ですので、「百合は男子と比べて性欲から遠いところにいる女子の間で発現しやすい」と言えることは確かなことでしょう。しかし、(ありえんエッチなオタクであるところの僕には想像もつかないことですが、)世の中には性欲から遠いところにいる男性と言うのも存在しているかもしれません。例えば、ハーレムものアニメの主人公なんて基本的に一切の性欲を見せませんよね。まあハーレムものアニメは往々にして女性陣が性欲にまみれているので間違っても百合とは言えませんが、例えばGJ部のようなケースは微妙なところです。もちろん詳細な考察は必要ですが、もしかするとGJ部員の関係は百合と表現できるかもしれません。話が逸れましたが、僕の百合においては「基本的には百合は女-女で発現するが、場合によっては男-女、時には男-男に発現する可能性もある(この場合は精査が必要)」であることが結論できました。

では次に年齢について。年齢について考えるに当たってまず、要請の解釈を行います。すなわち、「性欲に汚染されていない」とは「性欲を選択肢として持たない」なのか「性欲を知った上でそれを選択しない」なのかあるいはその両方なのかを考える必要があります。最初の解釈を採用した場合、ちょっと変なことになります。というのも性欲を選択肢として持たない世代と言うのは思春期以前または十分年をとった後ということになるので、「小学生って百合なんだよな」「老夫婦って百合なんだよな」みたいなおかしな主張が出現しかねません。別にこのような主張を批判するわけではないですが、今回はなるべくみんなが共有している百合の概念に近づけたいのでこのような解釈は切り捨てて「性欲を知った上でそれを選択しない」を採用したいと思います。ここでこの解釈にさらに踏み込みます。なぜなら、性欲を知った上でそれを「意識的に」選択しない、なのか、あるいは「無意識的に」選択しないなのかでかなり違いが生まれるんですよね。意識的に選択しないと言うのはつまり総合的に価値判断を行った結果「性欲を選択することは不利になる」と考えて選択をしないと言うわけで、ここには何の尊さもありません。「一歩間違えれば性欲という巨大な濁流に飲み込まれてしまう本流脇の小川の清らかな流れに刹那的に興る彩色の生態系」にこそ何にも代えがたい価値があるのであって、「コンクリートで整備された本流の脇に作られた用水路」にはなんの価値も無いのです。(何を言っているんだ。)と言うわけで、僕は「性欲を知った上でそれを無意識的に選択しなかった結果としての清澄な感情」を百合と呼びます。これが実現する年齢ですが、性欲を知っていてなおかつまだそれとの付き合い方を心得ていない年齢と言うことになりますので、思春期に限定されると思います。

追記1:ブログ公開後、多数の方から「自分は性欲を意識的に回避する関係性も百合だと思う」と言う意見をいただきました。そして、これらの意見を頂いて初めて、自分は性欲の意識的な回避を「損得勘定に基づいて性欲を一時的に隠すこと」に限定していたことに気づきました。言われてみれば確かに、これ以外にも性欲の意識的な回避は存在しますね。もちろん今すぐに僕の百合の定義を改めることはしませんが、これからはそういった感情を扱った作品にもアンテナを張り、自身の百合観の更なる発展に役立てて行きたいと思います。意見を下さった皆さんありがとうございました。

最後に、人数について。まず、この絵を見てほしいんですが、僕の中で百合と恋愛は完全に別物です。

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関連:立体的日常系論~サザエさん時空からゆゆ式時空へ~ - kramija’s blog

この図自体は適当に描いた意味不明なものなのですが、とにかく恋愛と性欲って絶対に切り離せないものだと思うんですよね。これは別に悪い意味ではありません。ただ恋愛と百合は性欲という軸を設定すると明確に分けられるというだけです。しかし、一般的にはこの二つはあまり区別されていないようで、恋愛はもちろん二人で行うものなので百合もそうなんじゃないかみたいな固定観念を持っている方が多いかもしれませんが、僕はそうは思いません。百合に人数制限は無いと思います。(twitterで一時期三人からが百合だみたいな主張をしている一団がいましたが別に僕は彼らの味方でもないです。あくまで人数の指定がないと主張しているだけであって、二人でも百合だと思います。)

 

4 おわりに

   また長々と書いてしまいました、すいません。一応かなり削ったつもりなのですが。とにかく、これが僕の百合の色です。もちろん、この定義を他人に押し付けるわけではありません。理系の人間なので定義をしっかりしておかないと議論に進めないのでブログとして形にしただけです。本当はこのブログを読んだ方が「俺の百合はこうだぜ!」みたいな返答(例えそれが批判的な内容であっても)をくれるとあったけえインターネットを感じられて最高なのですが、なにしろインターネットのお友達が少ないので期待しないでおきます。もしよかったら書いてね。