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kramija’s blog

アニメの女の子と現実のオタクの話をします。Twitter:Pasupu_otaku

オタクはなぜアイドルに惹かれるのか

今回はアニメの考察ではなく初回記事同様普段考えていることを文章化して整理する(ついでに皆さんに見てもらい同意や批判を頂戴してその完成度を高める)為の記事です。題材はタイトル通り「オタクはなぜアイドルに惹かれるか」

 昨今、巷はアイドルゲームやアイドルアニメ、そしてそこから派生するアイドル声優といったいわゆる「二次元アイドルコンテンツ」で溢れかえっています。そんな二次元アイドル時代とも言うべき現代、その真っ只中を生きる我々オタクはしばしば「なぜ自分はアイドルコンテンツが好きなのか」、あるいはもっと一般化して「なぜオタクはアイドルコンテンツにはまりやすいのか、アイドルの何がオタクを惹きつけるのか」という疑問に直面します。

例えば、アイドルアニメを見て顔面をぐしゃぐしゃにして泣いている時。「俺はなぜこんなにも泣いているんだろう?」と。あるいは、アイドルライブで高まりすぎて全身をクネクネ動かしながら「ヤバイバイ!マジでヤバイ!」とわめき散らしている時。「何がそんなにヤバイのだろう?」と。皆さんも、そんな疑問に直面したことがあるでしょう。僕も同じです。

無論、こんな疑問は無視してただ目の前に広がるアイドルオタク道を突っ走るのもひとつの有効な手段でしょう。元来、オタクの涙や高まりは本質的な意味を欠くものですから。しかし一方で、この賢明なる無関心の果てに“破滅”が待ち構えている恐れがあるのもまた事実です。少し前にtwitterで流行した短編漫画を覚えている方はいらっしゃるでしょうか。その内容は「地下アイドルオタクをしていた太った青年がオタク活動を続けるうちに『自分は他人の夢を応援することに夢中になるあまり自分の夢を追うことを疎かにし、気づいた時には手遅れになっていた』と気づき絶望する」というもの。これこそが賢明なる無関心の先に待ち構えているかもしれない破滅です。自分が追っていたものの正体は“虚構”であったと気づいた時にはもう遅いのです。

僕は陰惨たる青春時代を送り、無意味なことを考える時間はたっぷりとあったので一応成人し本格的に人生を「応援」に捧げる前にその行為の意味するもの、それにより得られるもの、失うものははっきりと見極めたつもりです。(もちろんこの先なんらかの外的作用によりパラダイムシフトが起きる可能性はありますが。)しかし、漫画の太った青年のように、世の中にはそんなジメジメとした青春時代を送らずにオタクになったために今になって自分の進む道に不安を覚えている人もいることと思います。実はこの記事は今年四月に書いたプロトタイプを大幅に加筆した改定版なのですが、そのプロトタイプのアクセスを解析すると「アイドル 存在理由」や「アイドルオタク なる理由」など相当に思いつめた検索ワードを打ち込んだ末当ブログにたどり着いたオタクが予想外に多数いて嬉しいような悲しいような気持ちになりました。

そんな悩めるオタクたちのためにほんの少しでも力になれれば、という思いが1%くらいと自分がアイドルに惹かれる理由を文章化することで一歩引いた立場から冷静に分析し新たな発見を得ることで一週間後に控えるデレマスライブでさらなる「高まり」をしたいという思いが99%くらいの比率で混ざり合い生まれたのが今回の記事です。当記事が私の立場を明確にすることはもちろん、読者の方々のアイドルについての考察をより一層深める助けになれば幸いです。

 ※1 以下、特別な断りを入れない限り僕が使う「アイドル」と言う言葉は「二次元コンテンツにおけるアイドル」を指します。

 

1.少女たちはなぜアイドルを選択するのか

   まず始めに考えるべきは最も根本的かつ本質的な問題である「少女たちがアイドルを選択する理由」です。我々オタクを惹きつけてやまない“アイドル”という存在。そのアイドルたちもアイドルになる前は普通の少女でした。この少女たちがアイドルを選択する、アイドルに「惹かれる」に至った経緯を考察することで、我々はアイドルが持つ引力の正体に近づけるはずです。ここで注意されたいのは、今から考えるのは「アイドルを目指す理由」ではなく「アイドルを選択した理由」です。と言うのも、当然のことながらなぜアイドルを目指すのかという問いに対する答えは一人ひとりで異なります。「人々を笑顔にしたいから」「多くの人に自分の歌を聞いてもらいたいから」、あるいはもっと単純に「可愛い服を着たいから」なんて理由を挙げる人もいるでしょう。そのため、そこに何かひとつの共通した理由を与えることはできません。

しかし、なぜ「アイドル」なのでしょう。例えばボランティア活動をしても人を笑顔にできますし、歌に自身があるならミュージシャンとしてデビューするという選択肢もあります。モデルになれば可愛い服を着られますし、極論服なんて自分で買って着てればいい気がします。それでもなお、「アイドル」という手段を選ぶ少女たちがいる。それはなぜか。当然、先ほどから再三にわたって言及している「アイドルが持つ引力」のためでしょう。ではその引力の正体は何か。結論から言えば、「巨大な物語」ではないかと僕は考えています。(以下、僕の初回記事を読んでいると内容が頭に入って来やすいかもしれないので読んでいない方はもしよろしければ下記のリンク先に飛んで読んでみてください。文章ばかりなうえ非常に冗長なのでもちろん読まなくても良いです、読んでいない人でもわかるようなるべく簡潔に書きます。

http://blog.hatena.ne.jp/kramija/kramija.hatenablog.com/edit?entry=10328537792363418847

「物語」というのはすなわち、一本の因果の糸で繋がった二つ以上の出来事のことです。こう書くと非常に抽象的なイメージを与えてしまうかも知れませんが実際にはたいしたことのない話で、例えば「ご飯を食べる前に手を洗った」という一連の行為は既に(僕の定義の上では)物語です。「手を洗う」という行為は「ご飯を食べる」という目的を明確に意識して行われ、達成された。僕はこの行為-目的の関係性を因果の糸と呼んでいます。この例でお分かりいただけたかと思いますが、物語は日常のいたるところに潜む非常に普遍的な事象です。では、「自分の将来の夢は医者だ。自分は今年医学部受験を控えた受験生で、今は受験勉強も大詰めの時期だ。この大切な時期に風邪を引いたら大変なので、食事の前に手を洗った」という例を考えてみましょう。行為-目的のつながりを→で表すとこの例は「手を洗う→風邪を引かないようにする→受験勉強をする→受験に受かる→医者になる」というように、ひとつ前の例に比べて因果の糸が「長く」なっています。あるいは彼に「今年は弟が医学部受験を控えているので家事はなるべく自分がやるように心がけている」という兄がいるとします。これは弟の物語に兄の物語が関わることで物語同士が因果の糸で繋がるという「物語の二次構造」が形成されている例です。つまるところ、人が何か大きな目標を持つとその目標へと伸びる因果の糸は「長く」「複雑に」なるのです。ぼくはこのことを「物語の巨大化」と呼びます。

では、本題に戻りましょう。アイドルという存在が持つ強い引力の正体はこの「巨大な物語」でした。しかし具体的にはアイドルという物語はどのように巨大なのでしょう。

まず前提として、アイドルはある程度容姿が良くないとつとまりません。それはもちろん生まれたときにおおかた確定されるものですが、それだけではありません。体型維持のための食事制限や運動に始まり、肌の手入れや爪磨きまで気を抜く隙がないでしょう。その傍ら、歌やダンスのレッスンを行わなければなりません。同世代の女の子たちが放課後繁華街で遊ぶのを横目に一人でレッスン場に向かう日もあるでしょう。それもすべてライブのためです。少女から伸びる因果の糸はすべてライブという大きな目標へと繋がります。そしてライブ当日。あれほど練習をしても、どれだけ自信をつけても足は震え緊張で心臓が飛び出しそうになるでしょう。そんな時少女を勇気付けるのは仲間の背中でありスタッフの目配せでありファンの声援です。スタッフに背中を押され仲間たちと手を繋ぎファンの待つステージへの階段に足をかける──すべての因果がステージの上に収束していく瞬間は、これ以上にないほど壮大な物語です。この壮大な物語こそが、少女をアイドルへと引きつけるのではないでしょうか。

 

2.ファンの存在意義

   さて、では今度はファンに焦点を当てましょう。前章で「少女たちがアイドルを選択するのはアイドルになるためだ」といういわば自己完結的な解釈を与えてしまった以上、ファンの存在意義が一見宙ぶらりんになってしまいました。だからと言ってファンは存在しなくて良いかと言うと、それは短絡的過ぎます。ファンにはちゃんと役割があります。それは、「承認」です。物語が成立するためには少女の努力を、才能を、すなわち少女本人を承認する役割が必要です。細かく言うとこの承認には物語の内野、すなわち物語の中心を通る最も本質的な因果関係の内部から行う承認とそれ以外の場所、つまり外野から行う承認があり、前者はいわゆる「プロデューサー」や「支配人」の役目で、後者は「ファン」の役目です。これだけ聞くと「なんだ、やっぱりファンは蚊帳の外かよ」とへそをまげてしまう方がいるかもしれませんが、それは違います。この「外野からの本人の承認の存在」こそがアイドルをアイドルたらしめる、もっと言えばアイドル性の定義そのものになるのです。つまり、内野からの承認しか存在しない物語は「恋愛」になってしまいますし、外野からの承認が本人ではなく曲や着衣に向けば少女はアイドルではなくミュージシャン、モデルになってしまいます。外野からの本人の承認があって初めて少女はアイドル性を手にするのです。

 

3.オタクはなぜアイドルに惹かれるのか

   ではようやく本題です。オタクはなぜアイドルに惹かれるのでしょう。まず先に断っておきたいのですが、僕はこの記事を書くに当たりその辺のアイドルオタクにインタビューをしたわけではありません。そのためオタクはなぜアイドルに惹かれるのか、という議題についても自分の経験をベースとした議論をせざるを得ないです。これ以降を読む人はそれを念頭に置いた上で読み進めてください。

   まず初めに僕の得意技であるオタクの分類をします。いや、実際一口にオタクといってもものすごい種類が存在してそれらを十把一絡げに語ることなんて到底出来ないんですよ。だからしょうがなくやっているのであって、僕がオタクを分類したがるのはオ

タクが好きだからではないです。むしろオタクは嫌いです、キモいし。俺は美少女が好き。美少女が大好き。

   一章で説明したとおり、アイドルが持つ魅力を成分に分解するとアイドル本人が持つ引力(魅力)以外にその背後にある巨大な物語の持つ引力というものが存在することがわかりました。そこで、前者に惹きつけられたオタクと後者に惹きつけられたオタクの二種類にアイドルオタクを分類してみましょう。

   前者は、実在アイドルのファンに多い印象があります。僕は中学生のころAKB48のオタクをやっていた時期があったのですが、まさに前者のオタクでした。つまるところアイドルを「めっちゃ可愛くて僕にも愛想よくしてくれる女の子」と認識して推していたわけです。今はもうAKBというか実在アイドル全般のファンを辞めてしまったので良くわからないのですが、いわゆる「レス厨」や「接近厨」などの存在はたぶんこのオタクの最たる例ですね。物語論的に言えば自分の人生の物語に頑張ってアイドルを登場させようとしているオタク、という感じでしょうか。こう書くとなんだか非常に動物的で気持ちの悪いオタクのような印象を受けますが、このような消費行動こそが元来想定されていたアイドルコンテンツの消費方法でしょうし、ある意味非常にオタクらしいといえます。というかこれから書く後者のオタクのほうが不気味で気持ち悪いので相対的に見ればそんなに気持ち悪くないです。

後者のオタクはまず、背後にある物語に惹かれている、という点である意味アイドル本人と同じ目線に立っています。しかし当然のことながらアイドルにはなれない。そこでアイドルを「推す」わけです。これは僕が好んで使う表現なのですが、後者のオタクはアイドルに自己実現を代替させているわけです。彼らは、自分の人生の物語はそっちのけでアイドルの物語の成就を切に願います。仙人のような生活をして衣食住にかかる金を切り詰めゲームに課金したりイベントに通っているオタクの一部は間違いなくこの種のオタクです。

自己実現の代替という概念をもう少し掘り下げます。この概念自体はわりとどこにでもあるもので、例えばはるか昔に引退したくせにちょくちょく練習に顔を出すOBみたいな人種が居ますね。先輩ヅラしたいというのが大半の理由でしょうが、自分には成しえなかった大会優勝を目指し頑張る後輩たちを応援したいという気持ちも少しはあるでしょう。これが自己実現の代替です。ですが、アイドルコンテンツにおける自己実現の代替はこれとは少し意味合いが異なります。

まず、その断絶の巨大さ。オタクとアイドルの間にはOBと後輩とは比較にならないほど巨大な断絶があります。次に、その独特の立場。オタクの存在意義の項に書きましたが、アイドルの成立のためにはファンの存在が不可欠です。OBは居なくても大会優勝できますが、オタクが居ないとライブは成功しません。この巨大な断絶と存在意義の獲得という二つの特異性のために、オタクは非常に居心地の良い思いをします。アイドルという物語の隅の隅に「応援者」として腰を落ち着けて、はるか遠くにある自分の人生の物語のことなど忘却してひたすらに少女の美しい物語を鑑賞する。こうなってしまえばもう、最初に話した太った青年オタクのように自分の苦悩することもありません。

   大抵のオタクは、この二つのタイプの複合型でしょう。いや、正確に言えばすべてのオタクが前者の性質を備えていて、一部後者のオタクの性質を兼ね備えているといったところでしょうか。ともかく、以上がオタクがアイドルに惹かれる理由の僕なりの考察です。ぶっちゃけこの10倍くらい言いたいことがあるんですが今回はここまでにします。たぶんまた何度か加筆して、年末までには完成させることになると思います。興味のある人はまた覗いてみてください。