kramija’s blog

アニメの女の子と現実のオタクの話をします。Twitter:Pasupu_otaku

響け!ユーフォニアム2第9話の話

 今回は響け!ユーフォニアム2の話をします。2は無印に比べれば難解なシーンが少なく素直に見られるんですが、第9話「ひびけユーフォニアム」だけは個人的に各シーンの意味がすごく拾いにくかったです。特に中世古先輩があすか先輩の靴紐を結ぶシーンは最初見た時頭の中がはてなマークで埋め尽くされました。一見したところあのタイミングで中世古先輩が登場すること自体が物語に何か重要な意味を持つとは思えないんですが、靴紐を結ばれているあすか先輩の意味ありげに隠された表情とそれを見た久美子の緊張感がすごく力を入れて描写されている。顔を見た久美子の反応からあまり良い表情をしていないことが推測できますが、なぜ靴紐を結んでくれている人をそんな顔で見なければならないのかが場面から得られる情報だけではさっぱりわからない。僕は原作を読んでいないのでなんともいえないんですが、原作にあったにしろなかったにしろ京都アニメーションさんがあんな大事な回に意味もなく意味ありげなシーンを挟み込むとは思えません。だったら頑張って意味を汲み取るのがオタクの役目だろう、ということで頑張って自分なりに意味を汲み取ろうというのがこの記事です。それではよろしくお願いします。

 

 田中あすかは型破りな人間ですが、同時に“型破り”という型に押し込められた人間です。一期であすかがドラムメジャーを務めたときを思い出してみてください。彼女がその役割を完遂するずっと前、練習を始めた当初から彼女がやり遂げる前提で話が進んでいました。誰も結果を待たずに、ドラムメジャーという大役を成し遂げるで“あろう”彼女を賞賛し、尊敬していたわけです。「彼女は型破りだからきっとやってくれる」、皆がそう考えていた。しかし、成績不良に端を発する退部問題の発生により、田中あすかも人の子であり、成績を保ちながら吹奏楽に打ち込むという離れ業には限界があることが明らかになった。この事実は一方で、彼女の肩の荷を降ろすことになります。今までその行動を細部に至るまで支配しようとする母親と、自らに対し「どんな局面も飄々と切り抜ける超人」という評価を持つ部員たちとの板ばさみにあった彼女は、ひとまず後者の期待を裏切る形で抑圧から解放されたわけです。

 そこで、「スニーカー」の登場です。スニーカーは母と部員からの板ばさみ状態を脱し一応は軽くなった彼女の心情を表していると僕は考えています。ローファーというのは伸縮性や柔軟性はなく形が決まっている。つまり、型です。9話後半であすかが自らを抑圧する母の存在について話す時玄関に置いてある彼女のローファーがカメラに映されることからも彼女の中で(無意識にしろ意識的にしろ)ローファーと抑圧が結びついていることが伺えます。対してスニーカーは靴紐で固定するため柔軟性もあり自分の好きなきつさで履くことが出来ます。

束縛に疲れたあすかはきっと、靴紐をゆるくして履いていたんじゃないでしょうか。だから、ほどけた。それにたまたま気づいたのが、香織だった。

 では、なぜ香織なのか。あすかとの付き合いの長い三年生は彼女の本音に気づくことなく、むしろ共に過ごす時間を重ねるたびに彼女を信頼し、頼るようになります。その重圧に耐え切れずあすかが初めて弱みを見せたとき、小笠原晴香は自分たちが如何に彼女に頼りきっていたかに気づき、あすかに代わって部をまとめようと奮闘します。その結果が第7話のソロ演奏なわけですが、一方で中世古香織田中あすかが“人間”であるという事実をなかなか認めようとしません。それを認めることはきっと、いままで田中あすかを異次元に置くことで抑えてきた気持ちに再び触れることを意味します。初め高坂麗奈という才能と真っ向から対峙することを避けていた香織は、ここでも逃げるほうを選択した。部のマドンナなどともてはやされ、一挙手一投足に注目をされる彼女ももしかしたら、大きな重圧を感じていたのかも知れません。

 あすかと香織、共に人々からの期待という大きな重圧を肩に背負ってきた二人の登場する第9話の靴紐のシーンは、短いながらに響け!ユーフォニアムという作品の途方もない奥深さ、精緻さを感じさせてくれます。当然他にも注目に値するシーンはたくさんあるのでまた何か書きたいと思っているのですが、とりあえず今回はここまで。